| トレッキング&グルメ | ||||||||
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国道二号線阿弥陀の交差点を少し北に上がったところで、遠くの山裾に抱かれるようにして聳え立つ大鳥居の姿がようやく見えてきた。 松陽中学の傍にある寮を出発してから三十五・六分はたっていたであろうか。ここまででポケットに忍ばせた万歩計の数字はすでに三千六百歩ほどを示している。 ということは、冬枯れの鹿島川沿いを寒風に晒されながらもう二キロ近くを歩いてきたということになるのであるが、先ほど見た阿弥陀交差点の案内板には、「鹿島神社まであと1.7km」と書いてあったのだから、今日の目的地である鹿島神社まで、これから同じ時間だけ歩かなければならないということになる。 それにしても、「鹿島神社まであと1.7km」の看板を見た時、「ああ、もう2キロを切ったのか」と思うか、「げっ、まだ2キロ近くもあるのか」と思うかは、これはそれぞれの性格であろうが、小生のこの時の気持ちはまぎれもなく後者であったことは隠しようもない。とはいっても、いまさら引き返したところで同じだけの距離を歩くことに変わりはないのであるから、とにかく目的地である鹿島神社までひたすら歩くしかない。だいたいにおいて、なんでわざわざ寮から鹿島神社まで四キロ近くもある道程を歩こうなどという酔狂な考えを持ったかということなのであるが、これについては別に理屈らしい理屈はない。強いてあげるとするならば、休みの日、時間を持て余した単身赴任のおじさんの気まぐれとでもいうのであろうか。ただ、顔だけを見れば温厚そのものの小生ではあるが、内実は母親譲りで全身好奇心の固まり。とにかく前々から気になっているあることを今日こそは調べてやろうと思い歩きだしたのである。 まあ、とにかく、心の中では「しんどい」とか「もう二度と歩いてなんかくるものか」などと呟きながらも、ようやく鹿島神社のシンボル「チタンの大鳥居」までたどり着いたのは、寮を出発してからちょうど一時間。万歩計の数字はといえば六千二百歩を記録していた。 ここで少し息を整えてから、肩から掛けた愛用の黒バックを開けてみることとする。小生愛用のこの黒バックは、見た目はごくごく普通のバックなのであるが、中に入っているものはといえば、小銭入れ、免許証、携帯電話に携帯ラジオ、小型の懐中電灯、買っただけで読んだことのない文庫本、タオル、帽子、なぜかビニール袋、ティッシュペーパー、バンドエイドに手袋、そして本来ならば去年の暮れに当たっていたはずの年末ジャンボ宝くじの残骸など、とにかく種々雑多、くだらないものがいろいろと入っている。その中から小生が取り出したものはといえばインスタントカメラ。今日はせっかく長い距離を歩いてきたのであるから、まずは記念写真。大鳥居に向かってパチリと一枚シャッターを下ろす。
ところでこれは言わずもがなのことなのではあるが、鹿島神社は遠くは聖武天皇の御世に建立されたという由緒ある神社で、今でも正月になると三十万人の人出で賑わう、広く「一願成就」の神様として知られた霊験あらかたな神社である。 ということで、それでは小生もさっそくお参りをしようと大鳥居を潜って参道へと向かう。赤い小さな鳥居を抜けて道なりに右に曲がると、長い参道の両脇にたくさんの店が軒を連ねている。 看板には、たこ焼きだとか、やきそば、カステラ焼きなどといった文字が並んではいるが、その中でも興味をそそるのは、「名物かしわ餅」の文字である。ここで、今日の小生の目的を明らかにしておくと、今日の目的は、「かしわ餅」がなぜ鹿島神社参道の名物となったかを知ることなのであるが、それを調べる前にまずはお参りをしておかなければならない。 参道をしばらく歩き、鹿島会館の前を左に曲がると境内に入ることが出来る。左右には木が生い茂り、灯篭が規則正しく並んでいる。少し歩くと石段にあたる。それにしても急な石段である。息を切らせながら上がると、右手に「合格祈願、学神祭」と書いた看板が目に入る。
それにしても、一願成就ということは、これは当然のことながら、ひとつだけどうしてもという願いをかなえてもらえるということなのであろうが、如何せん小心者ほど願い事はたくさんあるわけで、小生など両手両足の指を使い切っても足りないほどいっぱい願い事がある。 いやあ、それにしてもこいつは困った。願い事をひとつだけといってもなあ。そう思いつつ、ついつい手が愛用の黒バックの底に伸びる。その時、耳元で何か囁くような声が聞えてきたのは現か幻か。
えっ、何、どうしたの。 「それはあかん言うてるんや」 あかんて。えっ、いったいあなたは誰なんですか。 「わしか。わしのことなんかどうでもええやないか。それよりもな、お前、今、バックの底にある年末ジャンボのはずれ券に触ろうとしたやろ」 あっ、はい、ええ、わかりました。 「そのくらいのことわからいでか。それで、お前、今度こそグリーンジャンボの一等が当たるように願いを掛けようと思うたやろ」 いや、あの、そんなことは決して。 「困るんや。そんなこと頼まれてもな。ようけいるんよ、そういう願いをするやつが。もしもやで、そんな願いをかなえてみ。世の中、誰も真面目に働くやつがおらへんようになってまうがな」 ああ、それは確かにそうですねえ。 「そやろ、お前もな。そんなこと考えんと真面目に働けよ」 そう言うと、声の主は風とともにどこかへと飛んでいってしまった。 えっ、いったい今のは何だったのだろうか。とにかくまわりを見渡してみても何ら変わったことはない。善男善女が楽しそうに話をしながら歩いているだけである。 狐につままれたような気分というのは、まさにこのことである。でも考えてもみれば確かにそのとおりで、宝くじの当選を神様にお願いするというのは筋違いもはなはだしい。心の中で深く反省し、清い心であらためて一願成就。ひとつだけお願いをしてから本殿を後にしたのであるが、さてさて、それではいよいよこれからが「かしわ餅の謎」への挑戦である。
「いらっしゃいませ。どうぞ休んでいかれませんか」 と声を掛けられたのは、まさしくグッドタイミング。こう言われてしまうと、もうこれは入るしかないというわけで、誘われるがままに一軒のかしわ餅を売っている土産物屋さんの暖簾を潜ることにする。すると、もうそこはテーブルが四つほど置いてある小さな食堂。まるで、今にも「寅さん」が出てきそうな雰囲気が漂っている。 店の中は別に暖房がきいているわけでもないが、外の寒さに比べると、ずっと歩いてきた小生の体は思いの外温かい。そこで、ちょっと行儀が悪いかなとは思ったが、座りもせずに思わず言ってしまったのが、「ビールを下さい」の一言。 「缶とビンがありますけど」 「ええと、缶で」 運ばれてきたビールをコップに移し、まずは一口。ビールは夏に限るとはいうけれども、喉が渇いていれば冬のビールもこれはまた格別の味がする。二口、三口と飲んでいるうちに、段々と顔が火照ってくるのが自分でもよくわかる。ああ、いい気持ちだなと思いながら、ふと前を見るとガラス戸に一枚のポスターが這ってある。 『春爛漫、鹿島は今「サクラ」真っ盛り』 そうか、ここは桜の名所でもあるんだな。いいだろうな、桜の頃に来るのも。ところで、俺は今日ここに何しに来たんだっけ。ああ、そうだ、かしわ餅だよ、かしわ餅。 店の中にはおばちゃんが一人いるだけでほかには誰もいない。そのおばちゃんは一生懸命かしわ餅を蒸している。 「いらっしゃい。どうぞ。かしわ餅いかがですか。白いのとよもぎがあります。幾つでもお入れします。いかがですか」 お客さんがけっこう来てはかしわ餅を買っていく。忙しそうだな。商売の邪魔しちゃいけないよな。そう思っても聞きたいものはどうしても聞きたい。ちょうどいい具合にお客さんの途切れたところで、意を決して聞いてみることにする。 「あの済みません。かしわ餅が名物だと聞いたんですけど、どうしてなんですか」 聞かれて、おばちゃんが少し困った顔をする。それでも、すぐに笑って、 「昔、お宮さんにお供えしていたのが、いつの間にか名物になったと聞いてますけど」 と応えてくれた。 「味なんかも店によって違うんですか」 「餡もそれぞれの店で作ってますからねえ。粉にも等級があるし」 そうか、昔は鹿島神社にお供えていたわけか。それに自家製で店によって味も違うから名物になったということなのかな。確かにそれはそれで説得力があるよな。しかし、何かもうちょっと強力な謂れがあってもいいよな気もするし、こうなれば、違う店でもう一回聞いてみることにするか。また違った話が聞けるかもしれないしな。 店を出て時計を見てみるとちょうど一時を過ぎたところ。腹ごしらえをするのにもちょうどいい時間である。
少し歩いたところで別の一軒の店をのぞいてみると、奥の方におばあさんが一人座っているのが見える。店先では別のおばちゃんが、さっきの店と同様にかしわ餅を一生懸命蒸している。 中に入ってみると、やはりテーブルが四つほど置いてあるだけの小さな食堂。壁にはお品書きの短冊が六・七枚張ってある。 さてそれでは何を注文しようかなと、そのお品書きの短冊を見て、まず目についたのは「きつねうどん」と書いた一枚。ああ、いいな、きつねうどん、美味しそうだな。よし、決めた、きつねうどん。とはいっても、ここですぐにきつねうどんを注文してはいけない。せっかくの休みの日、まずはゆっくりと「熱燗」を楽しむこととする。 「お酒。熱燗をもらえますか」 すぐ傍の椅子に腰掛けて、何やらごそごそと片付けをしているおばあさんにそう言うと、おばあさんがすぐに店先のおばちゃんに向かって、 「お酒、言うとってやで」 と、注文を通してくれた。 いつだったかはもう忘れてしまったが、一度、熱いうどんと熱燗を一緒に注文してたいへんな目にあったことがある。熱燗が来て、それから適当な時間を置いてうどんが運ばれてくるものと勝手にそう思い込んでいた小生が悪かったのではあるが、実際、熱いうどんと熱燗とを同時に目の前に置かれた時の困った事、困った事。先に酒を飲んだらうどんがのびるし、うどんを先に食べると酒が冷めてしまう。仕方なしに交互に口にしたのだが、さすがにあれはうどんの味も酒の味もわからなくなってしまってまずかった。 そんなことをぼんやりと思い出しながら待つことしばし。やがて、ちろりに入った熱燗が運ばれてきて、まずは手酌で一杯。ああ五臓六腑に染み渡るとはまさにこの事。いやはや、これは何とも至福の時ですなあ。 ゆっくりと時間に逆らうようにお酒を飲んで、ちょうどいい頃合だと思う時分に、これまたおばあさんにきつねうどんを頼む。すると、おばあさんが、またまた店先のおばちゃんに向かって、今度は、 「きつねうどん、言うとってやで」 と、注文を通してくれた。 うどんが来るまでの間、残った酒を飲みながら、おばあさんにかしわ餅のことを聞くことにする。 「かしわ餅が名物ということですけど、どうしてなんですか」 もしかしたら、こういう質問をする人がほかにもけっこういるのかもしれない。おばあさんが小生の方に顔を向けると、小さな声ながら慣れた口調で、「姫路のお殿様がな」と話をはじめる。 「姫路のお殿様が、鷹狩りに来られた時にお茶受けに出したのがはじまりやそうで」 「へー、姫路のお殿様にですか」 「そう、それをお殿様がえらく喜ばれて。その時分は、ここら辺に家は八件しかのうて。ここでこの餅を売ったら儲かって賑やかになるやろ言われて……」 なるほど、確かに江戸時代、ここら辺は姫路のお殿様の領地だったはず。そのお殿様にお茶受けとしてかしわ餅を出したのが名物となったはじまりというわけか。その後できっと神社にもお供えをするようになったのだろうな。よし、これで何となく謎が解けたような気がするぞ。 謎も解け、なんとなく頭がすっきりとしたところで、注文していたきつねうどんが運ばれてくる。小さめの丼に大きなあげが一枚どんとのったきつねうどん。湯気が立って一段と食欲をそそる。 よし、それではまずは汁から味見ということでさっそく丼を手にする。ああ、温かくて美味しい。次にあげを一口食べてからうどんをずっと啜る。堪らんなあ。あげも甘くて美味しい。 「今では、ここら辺も家が二百件もあるけど、私らがお嫁入りした昭和十五年時分には家ゆうても二十七件しかのうて。狐ら狸やらが出て……」 いろいろと話を聞いてみると、おばあさんは大正七年生まれとのこと。ということは、小生の母親が大正十一年生まれで八十三歳だから、このおばあさんは八十七歳ということになる。 それにしても、このおばあさんもいろいろと苦労してきたんだろうな。そう考えれば、きつねうどんにもお酒にも、そして表で売っているかしわ餅にも、おばあさんの人生が深く染み付いているような気がする。 味わい深くきつねうどんをいただき、数滴残った酒を意地汚く頂戴してから席を立つ。店の前に出ると、出来立てのかしわ餅が自然と目に入ってくる。 普段いろいろとお世話になっているし、寮のおばちゃんに土産にかしわ餅でも買って帰るか。白とよもぎを五つずつ包んでもらい、ゆっくりと参道を歩きはじめると、鈍色に曇っていた空の切れ目から急に陽光が差してきた。 ああ、温かいなあ。それに、酒とビールで気持ちもよくなってるし。さて、これからどこに遊びに行こうかな。 小生の心の中の呟きをどう聞いたものか。山の中の狸が、「早く帰りなさいよ」と忠告してくれたような気がした。 完 By Ya |
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